ゆうきのブログ

個人のメモ用の、少し堅めの内容のブログです。

はじめてのウィトゲンシュタイン

【はじめてのウィトゲンシュタイン

語り合えないもの、決定論・自由意思論。

世の中の事態はすべて、偶然に生じるものである。

太陽は毎日、朝登る。明日も登る…と思われるが、それは確実なのか?と言われるとそうではない。今までの経験で、明日も登るだろうと思っているだけである。

推論と推測は違う。過去の経験からこうして「明日も太陽が昇るだろう」と考えるのは、推測である。過去のケースから未来を推論することは、不可能なのである。ここを混同してしまうことが結構ある。でも、大事なところ。

そう考えると、「ある事態が起こったために、別の事態が引き起こされる」という因果的関係は、どこまでいっても必然的ではなく偶然的なものなのである。これを必然的と理解することは、「迷信に囚われることと等しい」と指摘している。

このように因果的関係は、説明はどこかで終焉を迎える。そういった意味で現代の人々は自然法則を「科学で説明できた」ような気になっているがそうではない。むしろ昔の人々の「雷は神様の仕業」というように、説明の終焉を潔く迎えていたことをウィトゲンシュタインは認めていた。つまり、説明が尽きる地点をはっきりと認めていた分、古代の人の方がより明晰である、ということである。

 

【考察】

ウィトゲンシュタインの指摘は、なるほど、これは気付かないところでした。ただ、このように説明すると、科学がもはや全否定されてしまう論理になってしまうと思います。そこが気になるところ。

ここを否定せずに展開していく論理になってほしいところですが、はたして…。

続きを読んでいこうと思います。