ゆうきのブログ

個人のメモ用の、少し堅めの内容のブログです。

はじめてのウィトゲンシュタイン

【はじめてのウィトゲンシュタイン

なんというか、いわゆる世間一般が抱いている”哲学”って、こんなイメージなのでは?と思うような、The・哲学とでもいうべき本です。

語りあえないものの一つとして「世界の存在」が挙げられています。有意味な命題かどうかという判断基準でいくと、これは有意味ではない、と。あり方について語ることは有意味だけども、存在そのものについて語ることは有意味ではない、と。今まで哲学の歴史において最も深遠で根源的な問いとされていた「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」というもの。これは神秘なのだと表現されています。語り合うことができないので「神秘」としか言い表しようがないからだと。「世界の存在」が語り合えないものの一つとして挙げられているのは、こういった理由であるとあります。

もう一つ、語り合えないものとして「私の存在」が挙げられています。基本的に全てのものは、「私」を通して認知しています。「机の上に本がある」ということも、厳密に言うと「机の上に本があるのを私が見ている」ということになります。では、物事は私を中心に描かれているのか?というと、そうではない、ということです。それを「独我論」と呼び、この独我論の主義でいくと、自己中心主義になってしまうので、この立場をとるのはよくない、と彼は述べています。ただ、そこにあるということを正確に実在することを伝えることをしてのみ、独我論を徹底することができる、と。ただ、これを徹底しても結局は、「世界の存在」そのものへ向かってしまうので、結局は「それを見ている私はどういう存在なのか?」ということを語り合うことは、語り合うことができないものの一つであると挙げられています。

 

読んでみて…。

ウィトゲンシュタインの「細部にこだわる」ということが、哲学の世界において天才的に発揮されていることに、驚かされます。凡人は気付かないところの細部、すごく些細な箇所に気づき、考えることができる。これはすごい。言われてみたら「そうだなあ」と納得できるのですが、こんなことにまず「気付く」というところが、もはやあり得ないレベル。驚きます。

でも、まとめていて、今までの中でも群を抜くくらい「なんて言っているか意味がわからない文章」になっているような気がします。こ

れを誰かとシェアすることって、なかなか難しいような気がします。。。