【支援のための臨床的アタッチメント論】
これもなかなか面白かったです。
①愛着とアタッチメント
以前の投稿でも書いた内容です。これに追記する形で。
愛着を英語訳すると「attachment」「affeciton」。これらを混同しないという意味でも、カタカナ表記で「アタッチメント」がよいのではないか、と書きました。
もう一つ。「アフェクション」は、周りの大人が持つ物である。「アタッチメント」は子どものものである。
そういった意味も加えて、やはり「アタッチメント」を活用していくのがよいのではないか。
②関係を作る
よく「まずは関係を作ることから」という文言がありますが、作者はあまり好きではないそうで。というのも、関係はすでにそこに存在しているのであって、作るものではない。むしろ「関係を作る」ということが何を意味しているのか、発言者がわかっていないことも多いのではないか。代わりに「まずは探索ができるような安全基地を作ることから」だと、「どうやって安全基地を作るか」といったことも加えて、すべきことが明確になってくるのでよいのではないか、という指摘でした。
そう、これは同じことを思っていたので、すごく同感でした。
ただ、現在すでに「ラポール」等といった専門用語があるので、無理に安全基地にこだわって発言する必要もないのかもしれない、といったニュアンスが書かれています。
③甘えとアタッチメント
ここもよく議論になるところかと思いますので、避けられないところ。
本書では「甘えの定義」「甘えの構造」「なぜ人は甘えるのか」といったかなり哲学っぽい章のタイトルが並んでいて、なかなか面白いです。
その中で「甘えとアタッチメントは重なる部分がある」という指摘もあれば、「概念的には違うが、現実の状況では重なり合って生起している」という意見もあります。
ただ、大事なのが、「安定したアタッチメント形成を進めている」支援の中で「甘え」を一緒に使うと、支援に影響が出るのではないか、ということです。
つまり、「甘えている」というのは、その行動自体を否定的に観る言い方なので、「減らすべきだ」というニュアンスを含んでいます。しかし、「安定したアタッチメントを結び直している支援段階」だと、むしろその行動を減らすのはよくありません。なので「甘えとアタッチメント」を一緒に使うことはよくなく、「今何を目的としてその支援を行っているのか」ということを、アセスメントと共に説明できて、支援者間で共有できることが大事です。
ここで特に、「アタッチメント形成の仕組みの話」が生きてくると思います。
④支援者の役割「薬としての関係/薬を入れる器」
ここはまだ読んでいる途中でもありますが、アタッチメント形成における支援の場合、2種類あるとあります。
身の危険を感じたときに逃げ込める安全基地としての支援者の存在は、いわば薬そのもの。薬を取りに帰るようなイメージが近いかなと思います。
対して、探索基地としての支援者の存在は、薬を入れる器を作るようなもので、それを持ち歩いて遠くへ行けるように、というようなイメージが近いかなと思います。
この2つは行う支援の意味合いが少し異なるので、どちらの支援を進めていくのか留意することがある、と述べられています。
なかなか面白かったです。引き続き、読み進めようと思います。