【「教育は善いものである」という考えが引き起こすもの】
「教育は善いものである」
本当にそうでしょうか。少し疑ってみるところから、全てはスタートします。
教育倫理学の、強制と自由という問題から考えてみましょう。一般的に、強制することは、悪いことだと考えられています。
しかし、教育の中には、強制が含まれています。完全に強制がないと、それは放任・放置になってしまいます。
いやいや、ルソーの消極教育は、子供の主体性を重んじているではないか、と思います。でも、ルソーのそれは、教育の中から強制を減らそうというものであって、完全になくそうとするものではありません。つまり、「善いもの」であるはずの教育の中に、悪いものが含まれています。
そうなると、教育の中に「良い強制」と「悪い強制」があることになります。それはどうやって判断するのでしょうか?ある哲学者の回答として、「強制されることによって子供が自由になっていく」ことが判断基準ではないかと。
ここの判断は、子供がどう変わっていくかによって、変わってくるものでしょう。
始めに戻り、「教育とは善いものである」という考えが引き起こすもの、についてです。
こう見ると、教育は「善いもの」でもあり、「悪いもの」にもなりうるものです。それは、子供の変容によって、判断が変わってきます。
これを自覚することによって、「子供のために」という暴走に、ブレーキがかかるかもしれません。
「子供のために」やっていることはいいことだと、私たちは思い込みがちですが、逆にしない方がよいこともあります。
それは子供の変容によって変わってくるので、それを自覚することがきっと大事になってくるのでしょう。
「教育は善いものである」という考えが引き起こすもの。
これは人によって、他にも意見がありそうですね。