ゆうきのブログ

個人のメモ用の、少し堅めの内容のブログです。

科学的であるということを、哲学の側面から見る

【科学的であるということを、哲学の側面から見る】

「科学的である」ということが幅を利かせることも少なくないこのご時世。

「科学的である」「エビデンスがある」というのはどういうことかということを知るには、統計学を知る必要があります。

「比較すると有意な差があった」という結果の出し方をすることがあります。

これはつまり「そのアプローチや進め方で、本当に効果があったと言えるのか?」という疑問に対し、どんな結果でも基本的には100%とは言い切れないので、統計学を使用して「ここまでの差であれば、偶然の結果とは言えないほどの大きな差と言えるだろう」というラインを定め、越えれば「エビデンスがある」とします。そう「100%とは言い切れないけれど」というところなんですよね。

 

ヴィトゲンシュタインの哲学から見てみましょう。

「太陽は明日、昇るのか?」という問いに対して、「はい」とは言えません。

厳密に言うと、「今までの統計を見ると、今までは次の日に朝になると太陽が昇ったからそうだ」ということになります。

そう、明日太陽が爆発したり、地球に隕石が突撃して起動が変わったりするかもしれません。つまり「科学では予想を高めることはできるが、100%は出せない」ということです。

 

迷ったときに、「どちらの方がうまく進みそうか?」という判断の一つに、エビデンスがかなり役に立つことと思いますが、それでも「100%は出せない」というところ。子供はやっぱり一人ひとり違います。少ないながらも、「例外」に入る可能性はあります。

また、「今までの経験則で、多分こっちだろう」という経験値からくる判断もまた、「100%は出せない」ということ。

 

「科学が言うからそうだ」という判断のみになると、「神様が言うからそうだ」ということと、わりと近しい状態なんじゃないかな?とも思います。

科学しか見ない信者になる必要はありませんが、無視する必要もない。

そこら辺の、いい塩梅を見極めるのもまた、必要なスキルと言えるのではないでしょうか。