ゆうきのブログ

個人のメモ用の、少し堅めの内容のブログです。

学問を学ぶということ

【学問を学ぶということ】

ここに飴玉があります。全部でいくつありますか?

小学校1年生は、「1,2,3…100!」というように、1個ずつ数えると思います。

小学1年生の3学期になると、「10のかたまりを作って。10、20、30、…100!」というように数えるでしょう。少し早くなります。

3年生になると、「10のかたまりが10個あるから、100!」と計算できるでしょう。

 

学問を学ぶということは、そういうことで。つまり「なくても生活できるんだろうけれど、身に付けていると、生活が便利になる」。

そしてそれは「身に付けた人は実感するけれど、知らない人は気付かない」。

そんなことが言えるのではないでしょうか。

 

ここで一つ、疑問があります。

国によっては、字が読めない人が多い国もあります。

その人たちは、学問を生活に生かすことが、日本よりできていないと考えられるかもしれません。

では、その国の人たちは、幸せに生きてはいないのでしょうか?

日本は、ほとんどの人たちが、幸せに生きているのでしょうか?

そんなことはなさそうですよね。

これって、なんだか不思議な現象です。

つまり、学問は大切ですが、学問を身に付けることと、幸せに生きることは、直接的には、あまり関係がないのではないでしょうか。

 

見方を変えると、学ぶことは大切ですが、「どう学んでいくか」「何のために学ぶのか」といったことが大切になってくるのではないでしょうか。

幸せになるために学び、また学んだことを還元し、周りを幸せにすることが必要なのかもしれません。

 

ですので、学んだだけでマウントを取るようなことは、意味がない行動だと言えるでしょう。

学んだかどうかより、それをどう生かしていっているかどうかが大事で。

本を100冊読んだ人よりも、人生を変えるような本1冊に出会えることの方が、はるかに大事で。

 

「何故学ぶのか」を大切に。