ゆうきのブログ

個人のメモ用の、少し堅めの内容のブログです。

学習指導案の歴史的変遷とその役割に関する研究

【指導案はなぜ書くのか?】

気になったことです。

というのも、「指導案検討」ってありますよね。その時にみんないろいろな意見を言いますが、方向性って結構バラバラで。それを考え出すと「そもそもなぜ書くのか?」というところの認識が、みんなバラバラなんじゃないかと。そう思ったときに、「なぜ書くのか?」が自分でもハッキリしないことに気づきました。

本当に書かないといけないのか?日本だけなのか?いつから書くようになったのか?書く始めた先生が、指導案について研修してくれたらいいんじゃないか。そんなことを考え出すと、こんな論文を見つけました。

学習指導案の歴史的変遷とその役割に関する研究】

ja (jst.go.jp)

1900年の少し前から、教案という形で始まりました。そしてアメリカの指導案って5行くらいの、いわばメモ書きに近いような状態で。でも授業は細やかな授業が展開されているので、日本みたいにしっかり書くのは珍しいのかもしれませんね。

いろいろはしょって考察へ進みますが、「なぜ書くのか?」に関しては、「教師が自分の授業力に関してメタ認知を働かせるため」「科学的研究へ進むため」の2つであると考えられます。後者は「この見立てで合っているのか?」ということを検証し、手立てを再考していく。この検証で合っているのか?と考え出すと、段々と科学的な研究に入り込んでいくのだと思います。

ただ、どちらかというと、前者の役割が大きいことと思います。つまり、「自分でうまく言語化できていないところ」を言葉にして書く。そうすることで、自分で課題に気づき、教員として今後付けていく力が明確になっていく。そして自分の行ってきたことが次年度以降も再現できるように理論化していく。そのためにメタ認知を働かせるためとして「指導案に書く」ということがあるのではないかと。

そう考えると、学年で一緒に指導案を考える先生方は、「その先生がうまく言語化できるように」「今後の課題に気づけるように」といった助言になってくるかと思います。

少しだけ、モヤモヤが晴れた気がしました。