ゆうきのブログ

個人のメモ用の、少し堅めの内容のブログです。

学習指導案の歴史的変遷とその役割に関する研究

【授業力を育む】

潜在的な授業の力を、二宮・Corey(2016)は、①よい授業を観る力、➁指導案をつくる力(授業を表現する力)、③教材研究をする力、の3つに捉えて説明しました。

また、指導案作成に対する誤解として「授業研究の目的は、指導案を工夫し、実践を通して検証しさらに、それを繰り返し、最終的に完璧な指導案を目指すことであるというもの」という点が挙げられます。そう、でもこれって結構陥りがちで。指導案を作成していく様子が、結局「指導案が完成された。おしまい」になってしまうことって珍しくないような気がします。そう、その時に➁授業を表現する力と③教材を研究する力が、指導案検討や事後研で出るかどうかが大事で。つまり、「この授業はこんな風な意図があって、こんなことを目指したい」という”こんな風に授業全体をデザインしている”というような授業者の意図が出てきて、「だったらこんな展開もありなのでは?」という他の参加者からの意見も出てきて、「そうなると、こんな教材の工夫もありなのでは?」「そうだと、教材の解釈が違ってくるのでは?」というような、教材を研究していく力が深まってきて。そんな風な「あーだこーだ」が大事で。指導案の書き方や文言だけになると形式的なものになって、「指導案の完成を目指すもの」になるので、そうならないように気を付ける方がいいですよね。何故指導案を書くのか、という捉えを持っていることが大事。あとは、「授業者がメタ認知していくことで、顕在的な授業の力が高まっていく」ことに繋がっていけるように、周りは応援していくことも一つで。そのためには、ある意味周りが「授業者の現在地を知る」ことができればなお、プラスな気がします。

授業における言語活動の充実が叫ばれていますが、研究授業も”授業を表現する”といういわば言語活動で。指導案を書くことで、そういった意味で言語活動をしているという捉えが面白かったです。そうだから、”授業をどう表現していくか”という視点って大事。なんだか、アーティスティックですね~。

ja (jst.go.jp)