ゆうきのブログ

個人のメモ用の、少し堅めの内容のブログです。

服装の乱れは心の乱れ

【服装の乱れは心の乱れ】

中学校や高校でよく聞く言葉の一つかも思いますが、本当にそうでしょうか?

歴史的な変遷を見てみましょう。

明治時代に制服が導入され始めました。その後、歴史上、文科省は一度も「制服の着用について」義務化したことはありません。

しかし、文化的に制服義務化の流れが広まっていきます。

その中で、1964年に朝日新聞で東京都教育庁が、制服にする理由について「生活態度の乱れはまず服装の乱れに表れるのでそんな時発見しやすい」とコメントしました。

その後、森鴎外の「服装の乱れは心の乱れ心の乱れは集中力の乱れ集中力の乱れは学力の乱れ」という言葉と引っかけて、管理主義的な教育が中心だった1980年代に、「服装の乱れは心の乱れ」という言葉が広がっていったのだと、推測されます(ただしここは、様々な情報を総合した個人の見解が入っています。詳細をご存じの方がありましたら、情報をお願いします)。

 

そう、つまり「服装の乱れは心の乱れ」という言葉の起こりは、子供側に責任を押し付けるものではなく、こちら側の細やかな子供観察のための言葉であったと言えるのではないかと思います。

服装がいつもと違っていると「あれ?どうしたのかな?」と気に掛けることができる。そんな子供観察が、教職員として必要になると。忘れ物が多い場合も、「忘れ物をしたから注意する」ではなく、「最近忘れ物が多いけど、どうしたんだろう?」と思えることが大事。そうであると、子供を理解する材料の一つに「服装を観る」ということがあるという、非常に本質的な言葉であると言えると思います。

 

では、服装のことを話題にする際には、「服装の乱れは心の乱れ」ではなく、他の言葉に置き換えてみてはいかがでしょうか?

「服装の乱れは心の乱れ」という言葉を使うときは、どちらかというと「身なりを整えましょう」「外見はその人を表します」ということを伝えるために使っていると考えられます。

ですと、「身なりは人を表す」の言葉の方が、その場にあっていて、適切ではないでしょうか?(他には「馬子にも衣装」がありますが、どちらかというと「身なりは人を表す」の方がしっくりくる場面が多いと考えます)

そんな風に思います。

リンクは、参考にした論文の一つです。よければご参照ください。

 

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