https://core-net.net/keywords/kw022/
https://library.musubu.in/articles/44725
書籍自体には自己決定理論の記述がたくさんあるわけではないので、補足でいろいろと調べています。
ここのサイトが、入り口としてはわかりやすいような気がしました。
モチベーションと自己決定の関連性。動機づけには自己決定がなぜ大事か。
そしてどうして、自己決定のことについて、自己調整学習の書籍で取り扱っているのか。
こういったことが、ストンと理解できるような気がします。
今までフワフワしていたものが、少しずつ、霧が晴れるような気がします。少しずつですが。
自己調整学習を支えている3要素
ジマーマン(1989)は、3要素として「①自己調整方略」「➁自己効力感」「③目標への関与」を上げています。
①自己調整方略(すなわち学習方略)は、心理学でいうと、学習を効果的に進めるための方法、やり方のことを広くさします。学習ストラテジーという言葉言われることもあります。自己調整をするには、方略をある程度知っているか、自分に適していそうなものをある程度持っている必要がありますよね。その中から都度選んでいくので。このあたりの「学習方略」の話は、認知心理学が結構相性がいいんじゃないかと、個人的には思います。認知心理学は、ざっくりと言うと「脳の使い方や処理に着目して、学びやすい方略を提案していく」学問の一つではないかと、個人的には認知しております。そういった意味で、自己調整学習における、学習方略を知るには、認知心理学の視点って、あると結構便利かと思います。
➁自己効力感は、自己有用感とも言います。日本語訳が違うだけで、どちらも同じ意味です。バンデューラの話を今までしてきたので、そちらの記事をご覧ください。要は、目の前の課題等に対し「できそうだ」「やってみよう」と思って取り組めるかどうか。そういった気持ちになりやすい人は、自己有用感が高いと言います。もちろん、その課題や時期になって上下はします。
③目標への関与。その目標を「達成したい」とどれだけ思えるか。それは、学校の先生であれば、誰でも当たり前のように取り組んでいることでしょうから、ここは省略します。
この3つの要素が、自己調整学習を支えるために重要であると、述べています。
なんだか、少し、すっきりしたような気がします。
障害受容 3つの受容モデル
https://asd-autism.net/common-questions/3models-of-disability-acceptance/
先日の勉強会で出たものから、少し調べてみました。
一番上の段階的モデルはよく聞きますが、障害種ごとに傾向が分かれるというのも、なるほどなあと思いました。
ようは「そんな気持ちを踏まえて、理解をし、傾聴をし、一緒にベターを探していく」という姿勢そのものが大事ですね。
体育 持久走
学習指導要領で中学年の持久走は、「かけ足」という表記されていて、「無理のない速さでかけ足を3~4分程度続けること」とあります。
そう隣のクラスを見ていると、「結構な距離を走ってる」「マラソン大会でも長い距離を走るから、ちゃんと走れるようにしないと…」みたいなことをついつい焦ってしまいがちですが、そこまでのことは求められていないんですよね(もちろんできる分にはドンドンして構わないと思いますが)。
「まわりに踊らされずに、基本に立ち返る」ためには、学習指導要領で確認することが大事。
例えばこんな風に、「自分に合った距離を走る」というのも、体育という活動を通じて、自己理解を深め、自己調整をしていく…ということにも繋がると思います。
https://x.gd/36bdt
持久走の歴史を見てみると、結構いろいろと見えてきて、面白いものです。中学校との繋がりを考えて、今何をすべきかを考えていきたいですね。
https://x.gd/EfPa6
なんだか延々に考えてしまいそうなので、今日は目途付けて寝ます。
おやすみなさい。
ADHDと刺激
「ADHDの子は気が散るから、教室の前面は、何も貼らないようにしましょう」
どこかで一度は聞く話かと思います。
ただこれ、正確には
「整理するのは悪いことではないけれど、何が必要な刺激で、何が不必要な刺激かは、人による」
と思っています。
昨日もそのことで、ちょっと話題になりました。
とある人が言うには、
「何にもない部屋でずっといることを考えてみてください。人間パニックになりますよ」
とのこと。
皆さんも、部屋には、時計とかカレンダーとか、好きなタレントやアイドルのポスターとか、必要な刺激や楽しみに繋がるものがあるはずです。
楽しみがある程度あって少し刺激が多い方が心地よい人もいれば、かなりスッキリシンプルな部屋が落ち着く人もいるでしょう。
そうつまり、「必要な刺激は、人によって違う」ということ。
最初の話に戻ります。
ADHDでも、覚醒が低いから、そこを高めるために多動的になる場合は、朝に音楽をかけて運動する等「まずはある程度必要な刺激を」必要とする場合もあります。
教室に貼り物が多いとそれが「余分な刺激になって」、気になって動いてしまう人もいます。
そう、「整理するのは悪いことではないけれど、何が必要な刺激で、何が不必要な刺激かは、人による」。
そしてそこを、その人を理解して、カスタマイズすることが大事。
そのためには「その人にとって必要な覚醒とは?」という視点を持たないといけない。
その視点を持つためには、ある程度の知識があった方が、早く気が付く場合がある。
その子のことを考えながら、必要な理論や知識を学ぶということは、そうゆうことなのかな、と思います。
そういった「目の前の子たちへのカスタマイズをし続ける」ことが、結果的に【ユニバーサルな学級作り】になっているのかな、と思います。
形はあくまで「その結果」なんでしょうね。
小学校の音楽についてあれこれ②
「教科書に出てくる曲って、他の曲でもアカンのかな?」
以前投稿させていただいた内容です。
調べてみました。
学習指導要領には「共通教材」というものが示されています。
つまり「これは扱いますよ」という曲です。
例えば4年生の歌唱教材ですと、
「うさぎ・茶つみ・春の小川・ふじ山」
というようなものが上がっています。
1年間で、なのでそれほど多くはないです。
ですので、それ以外ですと、目標を基に、実態に合わせて柔軟に選択しても構わないわけです。
特別支援学校のとき、音楽科を担当したときに「共通教材」をしきりに言われていましたが、支援学校独自のものではなく、小中学校のものから逆輸入してきたものだったんだ…と思いました^^;
鑑賞等は私がクラスの子に行う際には、(大したものではありませんが)子供に合わせて一工夫をしています。
三味線の音を聴く際には、子供がハマっている曲を三味線でカバーした曲を扱う等、聴いたあとの感想に繋がりやすいように留意しているつもりです。
ただ、その曲だけ流しても「あの曲だ!」という方に引っ張られてしまうので、「三味線の音を聴く」に繋がりにくいです。
そうならないように、1つの曲を「三味線Ver」や「オルゴールVer」等、演奏する楽器を変えて扱っています。
そうすると、「楽器の音を聴く」ことに繋がりやすいかな…と。
ただ、音楽は専門ではないので、こんなおおざっぱな感じでやっています💦
誰か詳しい人に、この辺のことを、教えてもらいたいです。