「内発的動機づけ」って、なかなか高度なレベルの動機づけです。
「お給料もいらない。他のことを我慢してでもいい。自分がしたいからする」って、生涯かけて一つ見つかるかどうかではないでしょうか。
外発的動機づけの「同一化的」つまり「大事なことだからする」辺りでも、内発的動機づけではないけれど、わりと十分な気がします。「何故大事か」が理解できていると、学びが将来に繋がっていくと思うからです。
教科指導でもそうで。「クラスの全員を算数好きにしよう」とすると、どこか「焦ってしまい」「目標を高く設定しすぎて」「押し付けてしまう」場面が出てくるような気がします。そうなるのが結果的には理想ではありますが、現実的には全ての場面でのそれは、難しいのではないでしょうか。
それよりも、全員が目指すとしたら「算数は、嫌いではない」辺りが妥当な気がします。もちろんその中でも「算数が好きで好きでたまらない」内発的動機づけに溢れた子が出てくることは、目指していくとよいとは思います。
また、始めから「内発的動機づけを目指す」ことを重視しすぎなことも、少なくないような気がします。
まずは「やってみる」中で、良さがわかってくることもあると思います。それが徐々に内発的動機づけに移行していく。その移行の仕方も、学校教育だからこそできやすいものの一つではないかと感じます。
ただ、ASDやADHDの子等は、最初から内発的動機づけの要素が大きく行動に関与してくる子もいます。その子たちには、もちろん、そういった内発的動機づけを最初から狙ったり活用したりしながら学習を組み立てていく方が、うまく進むことが多いような気がします。
なんにせよ、「内発的動機づけが全て」ではないですし、「外発的動機づけから入ることがベスト」なわけでもないと思います。
人ってみんな違います。子供に合わせた、”中唐でいること”が、ほどよいバランスでよいのではないかと思う、今日この頃です。
※画像は、「白杉@EduAca作成」より引用