【どうして理論を学ぶのか?】
いろいろと学んでいると、ふと我に返ることがあります。
どうして、理論を学ぶのか。
一言で言うと、「メタ的な視点に立てるから」だと思います。
2つあります。
1つ目が、「自身の理論に気づくこと」。
理論というと、大学教授などの研究者のみが使っているイメージがありますが、実は日常生活にたくさん溢れています。そしてその恩恵を、知らず知らず受けています。
極端な例を出すと、「子供には子供の発達段階があり、それに応じた教育をすることが大切だ」というような理論は、今では当たり前すぎて議論されることはないように思います。
ですが、これをルソーが提唱した300年ほど前は、革新的な内容でした。今もしこの理論がないと、一生涯支援を頑張って、結果ルソーの提唱したこの理論に行きつくかどうか…微妙なところやと思います。それぐらい、支援の結果が違ってきているはずです。知らず知らず、私たちは先人の恩恵を受けています。
実はどんな理論があって、どんな仕組みで支援が展開されているのか。そして自身はどのような理論を使っているのか。きっとそれは、どの人にもあるはずなので、それをメタ認知することができる、というのが理論を学ぶ良さ、だと思います。
ちなみに、そうしてメタ認知していくと自身の引き出しになり、次の支援にも結び付いていくことと思います。
周りにいる「信じられないほどの量と質の仕事をしている」人は、きっとこうした理論の引き出しを多数持っていて、カスタマイズしてうまく使うことで、日々が成り立っているのだと思います。
これが1つ目。
2つ目は、「目の前の問題に対して、観方を変えて対処できる」
今までの経験で解決できない…。現場ではそんなことは、山のようにあります。それらの課題に対し、少し観方を変えて、解決方法が提示される。それが、理論を学ぶ良さの2つ目ではないかと思います。
見えていなかった視点が提示されて、「目からうろこ」ということ、きっと一度はあることと思います。自分たちだけでは見えてこなかった視点が提示されて、解決に至ることがある。そういったことが、理論を学ぶ中での良さではないかと思います。
そんなことを思います。ちなみに、支援を行う上で最後は「その人をトータルで理解していくこと」になると思います。その中を、ある理論から見て部分的に切り取って発表しているものが、学会で発表されるようなものになると思います。
なので聞く側としては、「その理論だけで解決しているわけでは恐らくない」ということに留意して発表を学びとる必要があると思います。
理論は、研究室ではなく、現場で発展するもの。日々子供たちから学ぶこと、できないことに打ちのめされながらもベターを探し続けること、そうして成り立つ自身の理論をメタ認知していくこと。
そんなことが必要になってくるのかなと、思います。