【発達という視点】
発達という視点は、何故、どうして、必要なのか。
歴史と経緯を掘り起こすと、どうなのだろうか?
最近気になることです。
教育原論から見てみると、教育が行われる前は、「子供=労働力」でした。
教育が行われることで、そこから解放されてきた子供。
教育の結果、「子供の可能性と選択肢が広がった」と言えるのではないかと考えています。
つまり、子供の可能性と選択肢が広がれば、教育としての成果が出たとも言えるのではないでしょうか。
教育学の立場から見てみましょう。
300年前、「子供は小さな大人」と見られていました。
そこをルソーが「子どもの発見」をしました。
そして、「自主性を重んじ、成長に即して子供の能力を活用しながら教育を行うべきだ」と主張しました。
こうして教育学が誕生しました。
「発達的な視点で観る」ということの始まりは、このルソーにあると言えると思います。
その後、精神分析で有名なフロイトが発達段階を提唱したのが、世界初の発達段階だという説があります。
そう、こう見ると、発達の視点と教育学は、誕生から共に歩んできた歴史があると言えると思います。
昨今、様々なアプローチや教具・教材が誕生しています。
もちろんそれらも大事。
けれども原点はやはり「子供理解」。
発達段階が全てではありませんが、発達の視座で捉えることは、教育における基本であり、原点であると言えるのではないでしょうか。